コラム
鏡の国のアリス
「白雪姫」を絵本にするのは難しかった。なぜなら、読みはじめたとたん“七人の小人”は「ハイホー、ハイホー」と頭の中を歌いながら行進する。あの小太りの愛らしい姿で。「鏡よ鏡。世界で一番美しいのは、だあれ?」と鏡をのぞきこむ“まま母”の強烈な顔。物語はすでに子供の頃に獲得したイメージで一杯になっていたのだ。追い出さなくてはいけない。その方法を思いつく。それは、思い出せない登場人物を探すこと。結果、重要な役割なのにイメージ出来ないのは“かりうど”だった。“まま母”の命令に背き、“白雪姫”を助けた恩人。正義感の強い男。まずは彼の顔を描いてみよう。 この時期、私はチェコの旅から帰国したばかりだった。旅の目的は、カレル・チャペックの家(現在は博物館)を訪ねること。彼は作家であり、ジャーナリストで園芸を好み、戦争を憎んだ人。民衆新聞の各欄に、コラム、随筆、寓話と文体を変えながら記事を担当し、ペンでファシズムに対抗しようとしたヒューマニスト。著書「コラムの闘争」を読んだ私は、ウィットにあふれ、ユーモアに包まれた文章に心を奪われていた。本の最後の「ごあいさつ」というコラムの、国は違ってもあいさつをする相手をイメージすることが出来れば、戦争は食い止めることが出来る。というメッセージは強い。優しくて強い人、カレル・チャペックを“かりうど”にしようと思いついた。顔は、画家の兄ヨゼフ・チャペックのキュービズムの作品にしてみよう。
こうして誕生した“かりうど”を物語の真中に置くと、彼に命令する“まま母”が生まれ、“白雪姫”を助ける“七人の小人”が、ギクシャクと画面に登場したのだった。
お城も家具も衣装も、チェコキュービズムのスタイルにした「白雪姫」はこのようにして誕生した。
キャロルの「不思議の国のアリス」、「鏡の国のアリス」は、94~2010年にかけて制作し続けているが、今回その全てを展示してみて、まだまだ続きを描いてゆきたいと思った。謎の多い物語には、その謎を解きながら、伴走する喜びが隠されている。「鏡の国のアリス」は特に、チェスゲームのルールが解らないと物語が読み解けない仕組みになっているのだ。私は、物語を読み進めながら、チェス盤に旅に出たアリスをどうしても、鏡を通り抜けたアリスの家に連れて帰りたいと思い、チェス盤の4マス目の真中に鏡を出現させてほっとしているが、この読み方、そしてイメージの捉え方を楽しんでほしいと願っている。
山本容子

「Tweedledum and Tweedledee」2010年、ソフトグランド・エッチング、手彩、2839.5cm